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平日だけど、ちょっと暇だったので、本日二度目の更新

<在日朝鮮人が叫ぶ差別とかについて>
・少し評論っぽく書いてみる

 差別というものは、一般的に不当な条件によって不当な扱いをする行為を指します。従って、人種・門地・性別といった、本人の意思とは全く関係のない情報によって、その者を不当に扱う事は差別であり、許されない事です。しかし、犯罪・テロといった類を根拠にするよる嫌悪感は、果たして差別と呼称できるのかどうか。

 例えば性犯罪者の再犯率を考えた時、一度でも罪を犯した者を若い女性やその家族が警戒する事を「差別だ!」としてしまったら、それは「差別」という語句を悪用し、社会混乱を誘発する工作をしていると同じです。

 「差別」とは嫌悪する【理由に論理性が皆無の場合】、例えば生まれや人種など、誰の意志でもない条件によって人を不当に扱う事を指します。嫌悪すべき理由に論理性が無かった場合に、それを「差別」とするのです。

 しかし、嫌悪するのに明らかな理由がある場合、例とすれば殺人等の犯罪を行っていた場合、自己防衛の一環として、「警戒する」という態度をとる事を差別と呼称できるかは疑問に思うところです。

 ところで、最近は、たまに『韓国、朝鮮人だからといって、むやみやたらに警戒するのはおかしい』という人を見かけます。

 確かに、全ての在日朝鮮人が悪質な犯罪をしているとは、僕も思いません。しかし、全ての朝鮮人誰もがこれらの犯罪へ対して謝罪の意を表していない事は事実です。それどころか、全ての朝鮮人が教科書等で上記に挙げた犯罪者を「英雄」として賞賛してさえいます。

 戦後の時に至っては、朝鮮人達は「準戦勝国民」という地位を連合国から得て、その地位を利用して様々な犯罪をおかした。

 数々の犯罪を繰り返し、米国の占領中に発生した朝鮮人犯罪は、米軍が統計した所、47~50年までの3年間で、殺人・強盗が4656件、レイプが224件、放火が57件、傷害が17552件、窃盗が44494件も記録されている。

 そして何より、一番問題なのは、朝鮮人個人の犯罪を朝鮮人全体が賛美した例も少なくないことである。

 1958年の太田芳江さんの強姦殺人事件。

 犯人の李珍宇は死刑判決を受けたが、犯人の母親は「息子の行いへ対して死刑は重すぎる」と主張、控訴・上告をしています。また、これが問題なのですが「差別されているのだから強姦や殺人を行っても仕方ない」と主張する、在日朝鮮人数万人の減刑嘆願署名が集まりました。

 当時、「我々は差別されていたので、日本人女性をレイプして殺しても仕方がない」という主張をしる在日朝鮮人はかなり多かったらしいです。

 僕が一番ここで言いたい点は『異常者が朝鮮人の中に存在した』という事よりも、『朝鮮人が全体として一人の異常者を擁護し、同調していたと』いうです。この事実を受け止め方は人によって違いますが、認識をせざるえない注意すべき点だと思います。

 1968年に起きた、在日朝鮮人の金嬉老の事件のときにも同じことが言える。この時もやはり、金達寿は「差別されていたのだから、女性と子供を人質として虐待しても仕方がない。差別されていたのだから男性二人を殺害しても仕方ない」といった主張がされていて、韓国では金嬉老を「日本人を殺した英雄」として賞賛するメディアが多数制作されていた。

 今一度、何故朝鮮人へ対して悪いイメージを持つ人が増えているのかを理解してみよう。彼らがどのような歴史をもっていて、過去から現在に至るまでどのような姿勢をとり続けるのかという事を我々は認識しなければならない。戦争が終わったとき、日本国内に約60万人いた在日台湾人へ対しては特に何も嫌悪といったような感情が無かったのに、朝鮮人へ対してだけは何故存在するのか。

 警戒すべき事を警戒をしないのは、ただの無知な馬鹿です。警戒心と差別心は違う事を理解しなければいけません。警戒心を差別だとすり替えて、様々な行動を正当化されている事を自覚しなければなりません。

 過去の朝鮮人の行動が積み重なって、日本人の心に警戒感を植え付けている事実は無視できないことです。「朝鮮人だから」という事で差別をする事はありません。しかし、自分たちに危害を与える存在へ対して、負の感情を持つ事はあります。これは、そんなにいけないことなのだろうか。

 多くの朝鮮人が一部の犯罪者を賞賛し褒め称え、なおかつその罪を罪と思わず、教科書にまで載せて誇りにしているという事実をもう一度考えてもらいたい。


・結論
 まぁ、何が言いたいかっていうと、警戒心と差別は別物ってことで。警戒心は相手が特に何もしなければ自然と薄れていくもの。
 猫だって、人間に虐待された記憶を持てば、人には近づかなくなるが、警戒心を解く努力をすればよってくるようになる。
 つまり、警戒心を持っていても、真に警戒をするべき人で無かった場合は警戒心は薄れるのだ。

 ということで、やっぱり犯罪が多い朝鮮人関係にはやっぱ警戒心を持つことは悪いことではないよってことで。初めに警戒心持って接していても、本当にいい人だったら仲良くなれる。
 もし警戒心を持っていて、後でいい人だったと気づいたときはそっと心の中で「疑ってごめんよ」と謝ればいいのだ。ちょい卑怯くさい気もするが(笑)

<今日のらくがき>
 一回目の更新時にいっぱい描いたでしょ


















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